院長の紹介
プロフィール
名前 | 榊原 学 |
出身地 | 埼玉県川越市 |
趣味・特技 | 筋トレ |
よく聞く音楽 | レゲェ |
好きな食べ物 | ラーメン・うどん |
好きな動物 | 犬・猫・烏骨鶏 |
好きなスポーツ | 格闘技 |
休日の過ごし方 | 旅・読書 |
ハマっていること | ウイスキー |
保有資格 | 指圧・カイロプラクティック・リフレクソロジー・操体 |
経歴
僕もあなたと同じでした。
「あ~うるさい、もう朝か。」
目覚め時計に起こされるが、寝た気が一切しない…。あと5分寝たい…いやあと2分だけでも横に…
遅刻しそうだから飛び起きたいけれど、からだがいうことを聞かず、とりあえずタバコを吸いながらからだをのそのそ動かし準備。
「毎朝この繰り返し」朝起きた瞬間からからだが重い、なんとか起き上がろうと思っても腰痛がひどくてからだが言うこときかない。毎朝電車の時間ギリギリになってしまう。
このまま働いて死んでいくんだなと思いながら、重いからだにムチを打って今日も働き、休みの日はつらいからだを休めるために、たくさん寝ました。そんな日々を過ごしていたのですがピークを迎え、もうだめだ、このままいったら「死ぬだけだ」と思って、仕事を辞めることしました。
その時にヨガをやるとからだの重さや腰痛や頭痛などは良くなると聞いたことと、一生に一度は旅をしてみたいと思っていたことがあり、旅に出ることにしました。
藁にもすがる思いで、本場インドのリシケシで本物のヨガを勉強しようと思い出発しました。
旅に出てからは少しは楽になりましたが、無理をするとすぐに腰痛が私の足取りを重くしました。しかし初めての旅は触れるものすべてが新鮮で、すごくいい経験になりました。
コースはタイから始めてインドの東側から西側へ移動してリシケシに行きました。
ヨガ漬けで過ごしていくうちにだんだんと頭痛も腰痛も出なくなってきました。
これならもう大丈夫だと思って、日本に戻ることにしました。
ですが、そうは簡単なことではありませんでした。
日本に戻ると、ヨガをゆっくりとできなくなってしまったのです。
ヨガとは日の出と日没の1日2回1時間半ずつ行わなくては、本当の意味がありません。
そのためエクササイズのヨガをたまにやる程度になってしまいました。
日本に戻ってから働き出していたので、日本にいた頃の生活に戻ってしまい、またもや頭痛や腰痛に悩まされる日々に戻ってしまいました。
これでは「日本では働いていけない」と思い、将来のことを考えて腰痛や頭痛に悩まされずに海外で暮らせるようになるために、オーストラリアで英語の勉強をして海外で生活をしようと思いました。
ワーキングホリデーという、勉強して働いて、観光もできるシステムです。
中高と学校で英語の勉強を全くしてこなかったのに、生活していればそのうちに話せるようになるだろうと思い行きました。
ところが、タイやインドのようにカタコト英語では通じないし相手にすらしてもらえませんでした。
今考えれば、考えが甘すぎたのが良くわかります。
英語の学校に行くという選択肢もありましたが、当時はインド思考が強く、都会が好きではなかったので住みたくなかったのです。
そんなカタコトの英語能力で過ごしていた時に事件が起きました。
オーストラリアで英語学校にいくのではなく、車を買っていたのです。
購入したのが後ろの見にくいボロボロの中古車だったために駐車しようとバックしていた時に、誤って停めてあるバイクを倒してしまいました。
もちろん弁償です。
すると綺麗に手元のお金がなくってしまいました。
宿に泊まるお金はもちろん、ご飯を食べるお金もなくなってしまいました。
オーストラリアでホームレスになってしまったのです。
車で寝ることもできるのですが、オーストラリアの法律で車で寝ることは違反で罰金です。
そのために森にテントを張り寝ました、それも違反ですが車よりも見つからない分、怒られなくて済むのです。
英語能力が低すぎて、どこも簡単には雇ってもらえませんでした。
ご飯は教会の炊き出しをたまにもらってなんとか食いつないでいました。
「手に職があればなんとかなるのに」と悔やみました。
テントの中でいろんなことを考えました、日本で身につけたものはなにも役に立たない歯痒さを感じていました。
そんな時に浮かんだのが道具も必要なく、からだ1つでできるマッサージでした。
そのためにもまずは、ここから抜け出さなくてはと思い、なんとか日本に戻ることができました。
日本に戻ってから整体の勉強を始めました、すると整体の奥深さに面白みを感じ、のめり込んでいきました。
整体院で働きながら、カイロや指圧やリフレから店ではマニュアルにない方法もどんどん勉強していきました。
同時に、人を元気にしたいと勉強や練習を重ねれば重ねるほど私自身が人生初の肩こりに悩まされるようになりました。
みなさんからは想像できないかもしれませんが、マッサージや指圧師は自分自身のからだはボロボロで、従業員同士で施術をし合わないとからだが辛くて働けないこともあるほどなのです。
どんなに勉強しても状況は変わりませんでした。
治せないのは、自分の手技が下手くそだからと思ってさらにどんどん勉強をして行きました。
その中である共通点がわかってきました。どんどん良くなっていく人とずっと変わらない人の違いがわかってきたのです。
それは生活が変わったか、変わっていないかの、違いでした。
元気になったことで、よく歩くようになったとか、運動をするようになったとか、いつも休みはダラダラと寝て過ごしていたけれど、外に遊びに行くようになったなどです。
そこでいくら歪みを矯正しても、生活が変わらないと本当の意味での変化はないのだと、気づいたのです。
そんな時にちょうどいいタイミングで今やっている操体と出会いました。
それまで勉強してきた、カイロや指圧やリフレなどはすべて捨てて一から勉強し直すことにしました。
整体の仕事はやめてアルバイトをしながら、勉強することにしました。
操体は自分のからだにとってもいいことしかありませんでした。
私自身も肩こりに悩まされることがなくなったのです。
それから一からしっかりと操体の勉強をして無苦庵のオープンに至りました。
開業後の今も自力自療の枠から外れていないものは、今も勉強をしています。